海原テレビ沿革
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海原テレビ沿革
海原テレビ局のロゴがプリントされた冊子。テレビ局の発展歴史における重要な出来事が記されている。 楽園暦1870年、海原市民の余暇をより充実にするため、大商人アカシアとグワラ「メガオン」が共同で海原市にて海原テレビを開局した。噂によると海原テレビタワーの建設計画初案は安全上の理由で一度は却下されたという。コストが限られている中、「メガオン」は2000ものグワラを動員し、自身の身体を願力で満たすことで、テレビタワー本体の建設を完成させたと伝えられている。 当時の海原テレビ局は、「イチハヤ楽園」の1番組しか放送しておらず、24時間休むことなくニュース報道を行う番組の理念は、多くの同業者から懐疑的に見られていた。しかし数年後の幻月遊儀の際、いち早く遊儀の全方位中継報道を行った海原テレビは、多くの視聴者と願力を引き寄せ、その結果、一躍二相楽園のメディア界の巨頭となった。 楽園暦1880年、幻造種視聴者が増えたため、テレビ局は幻造種向けの新チャンネルを多数開設した。中でも『ファンタスティックグワラ』が最も人気を集め、「メガオン」の物語はグワラたちの間に広まっていった。 楽園暦1900年、局長ナルドは長年蓄積してきた願力の移譲を条件に、幻造種雷龍と協力関係を結び、後者は、海原テレビの信号中継局の役割を担うことになった。それ以来、二相楽園の他の都市でも海原テレビ局の番組を受信できるようになった。同年、チャンネル「ピクセル・グルメ」が開設された。 …… 楽園暦1980年、海原テレビタワーの建物本体に4度目の改修が行われた。改修後のテレビタワーは、改修前の2倍以上の高さを誇り、同時に、海原テレビの社員数は2000人を超えた。 楽園暦1984年、死告魔事件勃発。海原テレビの記者は、自らの危険を顧みず事件の密着取材を行い、被災者の避難誘導にも大きく貢献した。死告魔が討伐された後、海原テレビ局は二相楽園理事会から「年度優秀メディア」賞を授与された。同年、『幸福をあなたに!・シーズン1』の放送が始まり、17.9%の視聴率を記録した。 楽園暦1988年、満願が第19代局長に就任し、海原テレビ局は満願テレビと改名された。
